さいの神の原像

さいの神は、塞の神、道祖神、才の神、幸の神というようにさまざまな漢字で表現され、全国に見られる神である。布志名才の神遺跡 島根県松江市玉湯町布志名寛永通宝(1636~)から平成4年発行の1円まで合計139枚が奉納されている江戸時代から現代までつながる信仰の遺跡である。石積を特徴とする遺跡であり、底の...

さいの神の原像

京都の波せき地蔵堂(なみせきじぞうどう)京都府の宮津市の籠(この)神社の奥宮である真名井神社へ行った時にも、参道に地蔵堂があった。これは、もしや、真名井神社の神域との境を示すお地蔵さまかな?と思ったが、全くの見当違いであった。大宝の大地震(約1300年前)に大津波が起きて、ここで波が切り返したという...

さいの神の原像

中山神社(鳥取県西伯郡大山町束積)の道祖神さん わらで作った馬が供えられている。淀江町教育事業団発行「未来にヒントを!! 伯耆のサイの神さん」からの抜粋である。(番号は、私がつけた。)①昔は、淀江町や中山町では、竹やむしろで子供がこもる小屋を作ったり、淀江町では小型のサイの神さんを宿に迎えて絵具など...

さいの神の原像

木の根神社のご神体国道9号線を米子から約東へ25キロ走らせると、左手に「木の根まんじゅう」の大きな看板が出ている。そこの店で買って食べてみたが、程よい甘さでおいしかった。ここの饅頭は、「木の根まんじゅう」のすぐ近くの神社「木の根神社」のご神体を模して作ったものだという。木の根神社のご神体とは何か。木...

さいの神の原像

妻木晩田遺跡(むきばんだいせき)から望む弓浜半島『出雲国風土記』(733年)には、三穂之崎(現在の美保関)を引き寄せた綱が「夜見嶋」(現在の弓ヶ浜半島)であると書かれている。行き寄せた綱というぐらいだから、島と言っても、奈良時代には一本の半島のごとくつながっていたのかもしれない。名の通り弓のように美...

さいの神の原像

亀甲神社(かめのこじんじゃ)の道祖神亀甲神社(鳥取県米子市淀江町中間642番地)には、上記のようなサイノカミが11体ある。市の指定有形民俗文化財になっている。男女の双体道祖神が8体、男根型が1体で9体らしい。一番古いものは、男根型の左にある線彫りの双体道祖神は、文化13年(1816年)のものだそうな...

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